曇りも雨も感謝

 今日は一日雨。美香はまだ少し熱があるので、学校をお休み。

 私は、午後から傾聴ボランティアのために、ある特別養護老人施設に。


 それにしても、どんよりした天気の日は、気持ちも少しどんよりしますね。


 人の心も、晴れ渡っているような気持ちの日もあれば、曇りのようなすっきりしない日、雨のような日、嵐のような日もあるものです。だれしも、出来れば、いつも晴れ渡った気持ちでいたいものですが、そうもいかない。鬱の方は、そんなすっきりしない気持ちの自分を責めて、さらに苦しくなることもあるようです。(わたしもそんな時がありました)


 さて、本当に天気はいつも快晴のほうがいいのでしょうか?。もし、曇りも雨もないならば、地面は干上がり、作物はそだちません。曇りの日も雨の日も、嵐の日さえも、それぞれ意味をもっています。


 人の心も、いつも晴ればっかりでなくてもいいと考えてみませんか。曇りのような心の日も、雨のような、さらに、嵐や雪の日もあっていい。雪はイヤダといってみても、東北の冬に雪がなければ、夏にその雪解け水によって農地を潤すこともなく、作物は育ちません。どんな天気も必要なのです。


 農作物が育つためには、晴れも雨も必要。同様に、心が育つためにも、気分のいい日ばかりではなく、曇りのような日も、雨のような日も必要なのかも。


 人は天気を思うように支配できません。同じように、人の気持ちも、自分でコントロールしようと思っても、なかなかできないもの。いや、無理にコントロールしようとして、いわゆる「積極的思考」とか、アルコールとか、そういうものに頼って、よけいに苦しくなることもあるのでは?


 天気を支配しておられるのは、神様。晴れも、曇りも、雨も、嵐も、神様が、人を愛して、最善の時に最善のものを備えて下さっている。自分の心も同じ。そう信じて、じたばたするのをやめてみると、すこし楽になります。



 曇りも雨も、その役目が終われば、いつか晴れに変ります。そして雨がやんだ後は、すこし成長した自分になっているかもしれません。


 神の愛にゆだねれば、晴れも、曇りも、雨も、嵐も、みんな感謝、感謝。