主に期待して

 今日の礼拝はNさんとTさんと共に献げました。先週に引き続きTさんがきてくださり、とても嬉しいひとときでした。主に感謝します。


 午後はみんなで病院に。みんなあかちゃんをだっこしたくて順番待ち状態。あかちゃんはいくら見ても見飽きることはありませんね。


 沢山の方からお祝いのコメントをいただき、ありがとうございます。一つ一つにお返事出来ませんこと、お許しください。とても感謝しています。


 夕方、Mさんがタケノコご飯とおかずをくださるということで、Mさんのところへ。妻が入院して、家事に明け暮れるようになったパパには、本当にありがたいお心遣いです。Mさんは最近非常に忙しくて、礼拝にこられませんけれども、もう少し落ち着いたら、ご一緒出来ますように。



 今日の礼拝の聖書の箇所は、5つのパンと2匹の魚をイエスさまが用いて、沢山の人々を養った奇跡の箇所でした。


 人間の目には無力に見えるもの。小さく役に立たなく見えるもの。「こんなもの」とつい不平不満が出てしまうもの。それはある人にとっては、自分自身のことかも知れません。しかし、イエスさまの目には、ちがって見えている。イエスさまは、私たちの存在の本当の価値を知ってくださり、豊かに用いて下さる。このお方に期待して、献げていきる祝福に満ちた人生をあゆんでいきたいと思うのです。


 のぞみ教会も人の目には、あまりに無力で、小さい存在です。しかし、なぜか不思議に、いつも希望があります。なにか新しいことが始まりそうな期待があります。私たちにではなく、私たちを用いて下さるイエスさまへの期待です。



 今月、「祷援会」という、教会の働きのために、祈りと経済的なサポートをしてくださるボランティアが立ち上がりました。誰に頼まれたわけではなく、「そうしたい」という方々が賛同者を集めて、自主的になさる、いわば「勝手連」として立ち上がるのだそうです。いったいどこから、そのようなエネルギーが湧いてくるのでしょう?。イエスさま以外のどこから、湧いてくるのでしょう。

「酒田伝道祷援会」
http://sakatasupport.blogspot.com/

 小さきものを用いて下さる主に期待し、感謝します。