共に喜ぶ

 今日は、21日の集会のチラシが山形新聞に入たはず。また過去に集会に来てくださった方にも郵送でご案内。明日はいくつか訪問予定。


 さて、去年クリスマスの集会をやって沢山の方が来られました。その後、私たちの教会に来た方はいませんでしたが、でも、他の教会にいってくださったら、それでいいなと思うようになりました。

 最近、近くの教会でゴスペル歌手の森祐理のコンサートをやっていました。そのコンサートに行った方が、その後私たちの教会に来てくださってもいいわけです。蒔かれた福音の種が、どの教会で実るかはわからないものです。地方の教会が蒔いた福音の種の多くは、都市の教会で実ります。特に若い人は大学、就職で都市に移動します。わたしが東京にいた時の教会の青年層の半分くらいは地方出身者でした。しかし、「だから地方は大変」だという話しをしているのではないのです。種を蒔くものも、刈り取るものも、共に喜びなさいとイエスさまは教えているからです。


ヨハネによる福音書4章35節〜
「あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」



 さて、私たちのような教会堂を持たない教会は、刈り入れより、種まきの働きを主から託されているという自己理解をしてみましょう。そうすると会堂がないことをなげかなくなります。会堂をもつ教会が、私たちの蒔いた福音の実を、刈り入れてくれてありがたいと、共に喜ぶことができます。精神的にも健全で、なによりも聖書的なありかたです。


 先日、酒田の牧師会に集まった先生方で、おおよそ酒田市内にある教会の礼拝出席人数を足してみて、その他いろいろ考慮して、大体、酒田市には300人くらいのクリスチャンがいるかな、という話しをしました。人口比率0.2〜0.3%くらい。日本のクリスチャン人口の平均1%をはるかに下回っています。


 自分の教会とか教派だけ見ていないで、酒田という地域にクリスチャン、神の民が増えていくというビジョン、幻をもちたいものです。そうすれば、大きな教会には大きな教会なりのダイナミックな働きが主から託されていること、また私たちのような小さな教会には、小さな教会ゆえの小回りと柔軟性のある働きを主から託されているという自己認識をもつことができ、それぞれの働きを喜びあうことができます。


 わたしたちは、同業者ではなく、同労者なのですから。