牧師家族退修会

 昨日から今日にかけて、東北にあるバプテストの教会の牧師と家族が盛岡に集い退修会。こどもたちは、お友達とそり滑りで楽しく遊び、妻も女性たちと一緒に夜遅くまで(限りなく朝に近い夜中までだったようですが・・)、語り合い楽しかったようす。わたしも先生方とゆっくりお話しして、励まされました。


 特に今回、お二人の先生方が新年度、東北の地を離れることになり、寂しさを覚えつつも、最後の交わりの時をいただきました。お二人の先生方とそれぞれのご家族の新しい歩みの上に、主の豊かなる祝福を祈っています。


 今回の会に集まったのは、全部で十数人でしたが、最初の礼拝で、賛美歌を歌ったとき、妻はとても感動したそうです。普段、数名で賛美歌を歌っていますから、10数名で共に歌えることが、実に豊かな恵みとして心に響いたわけです。そのことを、その夜、一緒に語り合っていた女性達にお話ししたところ、急遽、次の日の朝、みんなで賛美歌だけを歌う時を持つことになり、皆さんで一時間ほど、ただ自由に賛美歌を歌い、主を賛美する時をもつことになりました。


 ただ賛美歌だけを歌うために集まる。これは、ある意味、クリスチャンの最も自然な集い方ですね。しかし、意外と実現しないものです。なにか「話し合い」をすることが価値ある事と感じ、「聖書研究」とか「議論」のためには集まっても、賛美歌を歌うためだけに集まる、ということは意外とない。せいぜい、「話し合い」の前後にちょっと歌うくらい。しかし、主の目からみたら、賛美をするためだけに集まることを、私たちが感じる以上に、価値あることと見ておられるのではないでしょうか。そんなひとときをいただけたことを、嬉しく思いました。途中感動で、胸が詰まって歌えない賛美もありました。魂の充電をしたという気がします。妻も途中で涙をながし証をさせていただくなど、本当によい「退修会」となりました。