論理ではなく

 正しい判断を導くために、論理的な議論は大切でしょう。しかし同時に、論理を過信すると、大きな間違いを犯してしまうかもしれません。
 どういうことかといえば、AゆえにB、ゆえにC というところの「ゆえに」が論理ですが、しかし最初の出発点Aは論理にはならないということです。なぜAから出発するのかは、論理ではなく主観だったり信仰だったりするのです。そして最初のAが間違っていたら、その後の論理が正しければ正しいほど、最後のCは確実に間違いになるのです。論理的に正しくても、前提が間違ってしまえば、結果も間違います。そういうことは、この世の中にいくらでもあります。だから、議論というものを絶対視してはなりません。論理とか合理的思考というものは、その程度のものだと認識すべきです。むしろ求めるべきは、最初のAを間違えないセンスです。そしてそれは信仰なのです。