聞くということ

shuichifujii2006-02-27

 先週、箱根の、ケズイックコンベンションという超教派の修養会に参加して、ひたすら御言葉に聞き続けてきました。主から御言葉の示しを求めて箱根の山を登り、個人的に主から御言葉を頂くことが出来、本当に感謝でした。ある決断が出来ました。

 人はいろいろと心の中で思いや考えがあるわけですが、その思いを通そうとするのではなく、主に聞き、主が語りかけておられる御声に耳を澄ますことは本当に大切だと思います。主は御言葉をもって語っていてくださるのですから。

 飛行機に乗りますと、まず、最初に、乗務員の人が、安全ベルトの事とか、救命胴衣や酸素マスクの説明をするわけです。これは実に重要なインフォメーションであるわけですけれども、実際、あのインフォメーションを真剣に聞いている人はほとんどいない。大抵、隣の人とおしゃべりしていたり、新聞を読んでいたり、早々と居眠りしていたりするわけです。

 命に関わる、非常に重要なインフォメーションなのに、人はなぜ聞こうとしないのでしょう?

 もう以前にも聞いたことがあるとか、事故など起こらないとおもうからでしょう。空の上でなにか事故が起こったら、今度は真剣に聞くのでしょう。

 人の言葉でさえも、聞くことを怠れば、その人の人生に重大な結果をもたらすことがあるとするなら、ましてや神様の言葉を聞こうとしない人生は、いったいどうなってしまうのでしょうね

(写真:箱根小涌園の庭)