年金制度など必要でなくなる社会を

金保険制度を含めた、社会保険制度がなぜ必要になったのかを考えてみます。

 年金保険を含む社会保険制度はヨーロッパ発です。市場社会になって初めて社会保険制度が登場します。つまり、農業生産時代には、社会保険制度は必要なく、村落共同体の中で相互扶助が成り立っていました。(初期の保険制度では農民は対象外だった)。

 都市の労働者は、賃金以外に生活基盤が全くありません。まだ働けるうちに積み立てて老後や病気に備えるという仕組みが必要になってくるのも都市労働者になったためです。

 社会保険制度をはじめとする福祉制度が必要になった根本原因は、村落共同体が解体され、人々が生活基盤を失った都市労働者になり、人工的な制度にしがみついて生きるしかなくなったことにあります。

 親は親、子は子、という行過ぎた個人主義自由主義による、家族共同体の崩壊も、ますます年金制度を必要とする背景にあると思われます。

 それに対し、聖書は、親の面倒は子か孫が見るべきであり、全く身よりのない人は、教会共同体で支えるべきだと教えます。

1テモテ5:3-4
5:3 やもめについては、真にたよりのないやもめたちを、よくしてあげなさい。
5:4 やもめに子か孫かがある場合には、これらの者に、まず自分の家で孝養をつくし、親の恩に報いることを学ばせるべきである。それが、神のみこころにかなうことなのである。


 年金制度の破綻を恐れるのは、働けなくなることが生活の不安に直結するからでしょう。その根底には、働けなくなった人を支え、共にいきる共同体の崩壊があるのです。

 また、定年及び年金制度が、高齢者を始め、社会全般から活力を奪っている側面も否定出来ません。

 年金制度など必要でなくなるような愛し合い支え合う共同体の復興を、クリスチャンは目指すべきだと考えます。