「愚直なまでに神の言葉を語れ」

2005年12月28日祈祷会
イザヤ書6章1節〜13節

 祈祷会では旧約聖書から人物を取り上げて、毎回学んでいますけれども、前回と前々回は南ユダ王国の王。ヒゼキヤについて学びました。そのヒゼキヤ王に助言したのが、預言者イザヤでありました。

 先ほどは、イザヤの召命の出来事を読んで頂きましたけれども、それは、南ユダ王国のウジヤ王が死んだ年とありました。AD740年頃と言われます。

 このウジヤ王は、信仰的な王様としてスタートを切りましたが、やがて繁栄と共に高ぶるようになり、神から離れ、最後には、重い皮膚病になって死んだ王でありました。

 このウジヤ王が死んだ時に、イザヤは預言者として神さまに召されて、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤという王の時代に預言者として活躍致しました。
 彼について、あまり詳しいことはわかりませんけれども、彼は王様に直接進言することが許された立場でしたので、おそらく、エルサレムの貴族的な家の出身であろうとも言われていますが、詳しいことはわかりません。

 イザヤが列王記に登場しますのは、ヒゼキヤ王の時代であります。北イスラエルが、アッシリアによって滅ぼされ、南ユダもその後、アッシリアに攻め込まれるようになった時代。ユダの王はヒゼキヤでしたが、アッシリアが、南ユダを包囲して、ユダの民に、ヒゼキヤのいうことなど信じるな。主が必ず救い出してくださるなどとヒゼキヤは言っているが、周りの国々を見ろ、北イスラエルを見ろ、みんな私たちに滅ぼされたではないか。ヒゼキヤのいうことなど聞かずに、おとなしく降伏すれば、おまえ達の命は助けてやろうと、そのようなことを言って、民の心をくじいた。

 その時、ヒゼキヤは、預言者イザヤに意見を求めます。列王記のなかでは、ここでイザヤが初めて登場してくるわけですけれども、イザヤは、ヒゼキヤ王に、神の言葉を取り次ぎ、ヒゼキヤを助け導く大切な働きをいたしましたけれども、列王記などの歴史書には、イザヤについては、それくらいのことしか出てこないのですね。

 やはりイザヤについては、イザヤの預言を記したイザヤ書を見なければなりませんけれども、その全てをみる時間はとてもありませんので、今日はイザヤが預言者に召された出来事に絞って、学んでみたいと思います。

 イザヤ書6章がイザヤの召命の出来事となりますけれども、イザヤは神秘的な体験をします。これが現実なのか幻の出来事なのか、よく分かりませんけれども、いずれにしましても、イザヤは主なる神が高く天にある御座に座しておられるのを見たと語ります。
そして、セラフィムと呼ばれる御使いが、神を賛美するさまを見た。御使いは、「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う」と賛美したと、そう記されています。

 ここで大切なのは、聖なるという言葉、ヘブル語で、カドーシュという言葉でありますけれども、これは、汚れがないとか、純粋というイメージではなく、このカドーシュ、「聖なる」とは、分けるという意味の言葉なのであります。つまり、神が聖なるお方というのは、つまり、神は、少しばかり人間より清いお方ということではなくて、全てのものから、被造物から隔絶されているお方、ということであります。神々のなかで、最も清い神ということではなくて、そのような作られたものとは、隔絶した存在。唯一絶対の創造主ということが、ここで言われているわけであります。
 そして、その聖なる神を、絶対者を、イザヤが感じた、そのときのイザヤの反応が、非常に大切であります。

5節「「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」

 そうイザヤは叫びました。このイザヤの叫びとは、まさに、聖なる神を知った人間の叫びであります。聖なる神を本当に知ったものは、同時に、その聖なる神の前に、自分は滅びなければならない汚れたものであることを感じ取る、悟る。それがまさに、聖なる神を知るということだということが、ここにはっきりと示されているわけであります。

 これは実に大切なポイントだと思います。聖なる神を知るということは、友達を知るのとは訳が違う。それは、本来、罪ある人間にとっては、実に恐ろしいことであり、自らの滅びを覚悟するほどのことであるという、聖なる神に対する認識を、わたしたちも今一度回復しなければならないように思うからであります。

 キリストによる罪の贖いがなければ、人は決して神に近づくことは出来ない。キリストの贖いゆえに、神が私たちと共にいて下さるのだという事でありまして、そうでなければ、人は、到底神に近づくことは出来ず、滅びるしかない汚れに満ちているのであります。聖なる神とは、なにかお賽銭を投げたら、人のいうことを聞いてくれる都合のいい神でもなければ、サンタクロースのおじさんのように、優しくプレゼントを渡すだけの神でもない。聖なるお方。カドーシュのお方は、罪とは決定的に決別されるお方であり、罪や汚れとともに存在することなど出来ない。ゆえに聖なる、聖なる、神なのであります。

 ですから、聖なる神を知るということは、自分の罪や汚れを知るということになるわけであります。逆をいえば、罪がわからないのは、聖なるお方を知らないからだと言い換えることもできましょう。

 ヨハネの手紙は、それをこう表現します。
「神は光であり、神には闇がない。わたしたちが神との交わりを持っているといいながら、闇の中を歩むなら、それは嘘をついているのである。」
「自分に罪がないというなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません」

 そういうことであります。聖なる神を知るならば、必然的に自分の罪を深く知ることになります。

 イザヤは、聖なる神を知った。それはつまり、自分が滅ぼされなければならない汚れた存在であることを知ったということであります。しかし、そのとき、まさに、天使が、祭壇の炭火をイザヤの口にあて、あなたの罪は赦されたと、神の赦しを宣言したのでありました。

 この罪の赦しは、やがて成しとげられる、イエスさまの十字架の贖いの、先取りであろうと理解出来ますけれども、いずれにしろ大切なことは、イザヤは、預言者というその神の重要な働きに召されるにあたり、イザヤ自身が滅びるべき罪人であることの自覚と、その罪のゆるしをいただく必要があったということが、非常に大切なポイントであろうと思います。

 預言者は、当時のユダの国の腐敗を糾弾し、不正をただし、正義を貫くようにと語らなければなりませんでした。そのような預言者に召されるに当たり、イザヤは、自分がまるで神の立場に立ち、人々を教え導き、叱責できるような、高尚な人間などではないのだ、それどころか、自分こそが神の裁きを受け、滅ぼされるべき罪深い存在であることを悟らされたのであります。そして、まさに自分に絶望しきったところから、神の恵みによって引き上げられ、彼は預言者として出発したのであります。

 イザヤも一人の罪深い人間であります。その罪人が、他の罪人に神の言葉を語らなければならない。そこには、どうしても、まず自分自身が、聖なる神の前に、取り扱われるということが必要であったのでありました。

 以前、あるバプテスト教会の50周年史を読んでいたとき、そのなかに、1970年代当時、教会闘争の様子が生々しく記録されていたことを覚えています。当時、教会の中の造反グループたちは、ヘルメット、覆面、ジャンパーに身をかため、軍手をはめた手に長い棒を持って、叫びながら土足のまま礼拝の場にかけこんで、講壇にかけあがり、マイクを奪って、教会批判をぶちまけ、礼拝を大混乱に陥れた、そんなことが記されていました。

 当時の若い人たちが、正論をもってぶつかったこと自体は、意味あることだったと思います。正しいと信じることを語ることはお互いにとって意味あることでしょう。しかし、彼らに決定的に欠けていたのは、自己批判ではないか。正論は結構だけれども、それをぶちまけて礼拝をこわし、兄弟姉妹を深く傷つけるという、その行為の罪深さに、全く気付くことがなかったのではないでしょうか。正義を語る人々の危険性は、まさにそこにあります。聖なる神を知らない正義。自分の罪深さに気がつかない正義。それは恐ろしい正義であります。

 ゆえにイザヤが、当時のユダの国の腐敗、不正を糾弾する預言者に召されるに当たり、徹底的に自分自身の罪を知らされ、自分の罪に嘆き悲しみ、そこから神の赦しを頂くことなくして、彼は預言者として出発できなかったのだと思うのであります。まず、イザヤ自身が神に取り扱われ、初めて、神の言葉を語る器とされていったのでありました。

 さて、神の赦しを頂いたイザヤは、8節で、「だれを遣わすべきか。だれが我々にかわって行くだろうか」という三位一体なる主の御声を聞き、その呼びかけにそくざにイザヤは「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」とこたえます。

 神を知り、自分の罪を悟り、しかし、その罪の赦しを頂いて、イザヤは、その神の恵みに押し出されるようにして、自発的に、心から神に仕える預言者となっていきます。それは裏を返せば、預言者の働きは、無理矢理させられてできることではなく、自分を遣わして下さいという、献身によってのみなされる、そのような厳しい働きであるということでありましょう。

 たしかに、イザヤの働きは厳しいものでありました。10節を見ますと、イザヤがメッセージを語ると、ユダの人々はかえって心をかたくなにするという、そのような働きにイザヤは召されたのであります。イザヤが民にむかって、「アッシリアにもエジプトにも頼るな。天地を創造した聖なるお方に立ち返り、聖なる民として、善を行え」。そのような主の言葉を語れば語るほど、ユダは心を頑なにしていく。そしてそうなると分かっていながら、なお、主のメッセージを語り続けなければならない、その厳しさ。それゆえに、イザヤは、11節で「主よ、いつまででしょうか」、いつまで語らなければならないのでしょうかと、主に叫ぶのであります。

 いつまでですかと問うイザヤに、主は、「ユダが滅び、遠くに移される時、捕囚の時まで」と答えています。ユダの国が、自らの頑なさゆえに、捕囚になっていくそのときまで、民に語れということであります。

 なんと厳しい奉仕。そして、聖なる神の裁きの厳しさを思います。

 しかし、この裁きの厳しさを理解しなければ、その先にある希望も理解出来ないわけであります。13節におきまして、切り倒された木でも、切り株が残る、ユダの残りのものは残ると主はいわれます。そして、そのユダの残りの者から、やがて救い主メシアが生まれるという、メシアの預言の数々へとつながるわけであります。

 ローマの手紙の11章8節以下を見ますと、ユダの民が、かたくなになったことが契機となって、福音は異邦人へ、全世界へと宣教されるようになったのだとパウロは語ります。そんなことは、 イザヤの時代には想像もしなかったわけですけれども、そのように、人の思いをはるかに超え、時を越え、民族をこえた、神の大いなる救いの計画の中で、イザヤはインマヌエルの預言をはじめ、数多くの救い主の預言、神の計画を語る非常に重要な預言者となりました。イザヤは、歴史書にはほんの少ししか登場しませんけれども、実は、彼の人間としての歴史をはるかに超えて、神の救いの歴史を預言し、生きた、それがイザヤでありました。

 しかし、そんなイザヤ自身について言うならば、彼はなにか特別に、清い存在であったのではなく、聖なる神を知るなかで、自分の薄汚れた罪の姿に絶望した人間であったということであります。その罪の赦しのなかで、預言者に召されたのであります。だからこそ、イザヤは、どんなに自分自身は受け入れがたい主のメッセージであろうとも、彼はストレートに語りました。自分の罪に汚れた知恵や考えなどに絶望したゆえに、彼は主のメッセージをストレートに語った。イザヤは、決して現実的な判断とか常識とか、そのようなことで、ユダの国に向かって、アッシリアやエジプトに頼ったほうがいいなどとは、口が裂けても言いませんでした。人の知恵や知識がいかに罪によって曲げられているかを、イザヤ自身が一番悟っていたからでありましょう。自分の罪を知るイザヤは、もはや、自分の判断で神の言葉を曲げるような愚かなことをしない、筋金入りの預言者となったのであります。

 使徒パウロはコリントの手紙の中でこう言いました。
「十字架の言葉は滅んでいくものには愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」

人は罪ゆえに、神の御言葉が、十字架の言葉が、愚かに感じるわけであります。そのように罪によって、こころがねじ曲がっているわけであります。
 そのようなねじ曲がっている自分のことを賢く思い、神の言葉を愚かに思うなら、滅びの実を刈り取っていきます。逆を言いますと、イザヤのように、いったん自分自身に絶望する、その罪に絶望する、ということがなければ、神の愚かさ、御言葉の愚かさ、十字架の愚かさに生きることはできないということであります。パウロもまさに、かつての律法の専門家であった、その自分の賢さを捨て、キリストを信じる愚かさに生きたのでありました。
 そして、そこにこそ、神の知恵があるのであります。人の賢さは、滅びを刈り取り、神の知恵は、神の御言葉は、人を救うのであります。

 わたしたちもまた、イザヤのように自分の罪に絶望するとき、神の知恵、神の御言葉に、本当に生きるものとなるのではないでしょうか。人を救うのは、マーケティングの知識でも、心理学の知識でもなく、神の言葉であります。愚直なまでに神の言葉を語る働き人が、イザヤのような働き人が、わたしたちの教会にももっと与えられるようにと祈ってまいりたい。
 新しい年になりましても、まっすぐに御言葉を語り、まっすぐに御言葉を生きていく私たちでありたいと、そう願うものであります。