幸いな人間関係への鍵

 月曜日はお休み。暖かくなった午後から、家族で近くの公園に繰り出す。「もう、銀杏の葉っぱの絨毯もなくなってきたね」と三歳の上の子。「葉っぱの絨毯かー。そうだね、風さんに運ばれちゃったみたいだね。」親子のほのぼのとしたひと時。私は親が離婚していますから、そのトラウマで、自分も家庭をうまく築けないかもしれないと、かつては思っていましたけれども、でも、まあなんとかなりそうかな。自分に自信がないからこそ、神様にすがるしかないと祈るのみなんですね。
 本当の父は、天の父なる神なのだと信じて生きる。これはある意味、親替えすることですね。でもそのようにして、肉親である両親さえも、本当の親である神様が与えてくださった存在なのだと思えることは幸いだと思います。そのようにして、すべての人を限界ある被造物として、理想化したり絶対化することから解放される。そこにゆるし赦されるという、幸いな人間関係への鍵があるようにおもうからです。