ちょっと書き込み言葉の雰囲気、かえよかな。

 どうも、ここに何か書き込もうという気持ちにならん。でも、お金払っているからもったいないなぁ・・何とか書かなくちゃ。
でも、時事っぽいことを語っているブログは沢山あるし、何を今更ということもあるなぁ

 ああ、そうだ。これは基本的に「独り言」であり、私の「日記」なのだ。なんだかいっちょまえなことを論じなくても、それこそ、遠慮せずに、意味もなく、独り言を書けばいいんじゃないかぁ。せっかくお金払っているのに(しつこいか)。

 まあ、そう考えると、なにかつまらないことでも、書いおこうかな、ちょっと、モティベーションがあがってきたような・・・。でもいつまで持つことやら。

閑話休題

 ここ数年、やたらとブッシュさんが目立つことをしておられるせいか、なんだかすっかりそのブッシュさんを支持するアメリカの保守的なキリスト教勢力に対する、ネガティブなイメージが周りでできあがっていて、まあ当たっているところもありますけど、でも、よく聖書のことがことがわかっておられないなぁ、という偏見に満ちたものもありますねぇ。
 いわゆる聖書主義の福音派といわれるプロテスタントをひとくくりにして、あれはキリスト教原理主義だろう、的レベルの批判はもうあきました。(田●宇さんなんかもそんな感じ)。問題は聖書主義にあるんじゃないですよぉ。(学生のときに歴史でなならった宗教改革者たちは、みんな聖書主義者だってこと、知っていますかぁ)。問題は、聖書主義とか、聖書に対する保守的な態度にあるんではなく、聖書解釈にあるのです。保守的キリスト教といいながら、聖書ではなく、なにか政治的なものとかに保守的で、聖書をねじ曲げてはいませんかぁ、という、そういうレベルの議論が、なぜか日本の論壇とか、優秀なブログの書き手から聞こえてこないんでしょうかね。
あ、牧師がちゃんと説明しないのがいけないのか。