バルトの自然神学批判

しかし、上記のような自然神学に好意的なブルンナーに対してバルトは論争し、「ブルンナーは、神が知られるようになるために、人間の助けを必要とするといっているように見える」と批判します。ブルンナーが自然を取り上げる背景にはルターにまでさかのぼるものがありました。ルターによれば、神は摂理によって非造物の中に秩序をもうけ、それに含まれるものが家庭や教会や国家とされ、そこから発展した神学が当時のドイツ国家の積極的な評価につながって、国家を神のモデルとし得るような神学的基礎を据えるのではないかという懸念も、ヒトラーの台頭する当時の時代にあって、自然神学への批判を強める動機になったのでしょう。

 ただ、トマス・F・トーランスは、バルトが自然神学に反対しているのは、自然神学の論証の非有効性でも、合理的構造に対してでもなく、その「独立的」性格、つまり、神の能動的な自己開示ではなく、「自然のみ」に基づいて展開する自立的な合理的構造に対して批判しているのだと述べています。