今日、賛美歌の選曲について考える研修会に出席しました。その中である人が、重い病気の時、礼拝の中で歌う賛美歌が、ポジティブな歌詞が多くて歌えなかったといわれていたことを聞いて、以下、考えたことを記します。
歴史的に、日本のプロテスタント教会の多くで使用されてきた賛美歌は、アメリカからの宣教師由来のものが多く、教派によっては、イギリス・アメリカの19世紀~20世紀のリバイバル運動という、特定の歴史的・文化的文脈から生まれた賛美歌がいまだに多く歌われているといえます。
そして、これらは確かに力強い信仰表現を含んでいますが、同時に現代の日本人の文脈からは乖離しており、また苦しみを抱える人々の経験を一般化しすぎている可能性があります。
信仰は喜びだけでなく、苦しみや疑問も含む人間の全体的な経験を包含するものですが、多くの伝統的な賛美歌は、ポジティブな側面に焦点を当てており、信仰生活の多様な側面を十分に反映していないように受け取られることもあるでしょう。
さらに翻訳された賛美歌や異なる文化的背景から導入された賛美歌は、日本の文化や現代の社会的文脈に必ずしも適合していない場合があります。
これらの要因を考慮すると、賛美歌のポジティブな歌詞についていけなく感じることがあるという問題は、その人の信仰に課題があるというよりも、むしろ賛美歌の歌詞自体が、時代に合わせて再検討される必要があると言えるでしょう。
以下、伝統的な賛美歌の歌詞を歌う際に、考えたい問いかけです。
・喜びだけでなく、苦しみや疑問を表現する賛美歌も含め、より幅広い人間の経験を反映した言葉選びの必要性はないでしょうか。
・日本の文化や現代の社会的文脈に即した新しい賛美歌の創作、選曲、既存の賛美歌の再解釈の必要性はないでしょうか?
・賛美歌とは違う要素(祈り、黙想、証しなど)を大切にすることで、今、その時の思いが言葉とされる場が、礼拝の中大切にされる必要はないでしょうか?
・教会コミュニティ内で、苦しみや疑問について率直に話し合える雰囲気を作り、多様な信仰経験を互いに理解し合うことが、礼拝自体の豊かさにつながるのではないでしょうか。
・賛美歌の歴史的背景や神学的意味について教育の機会を設け、よりよい賛美歌の言葉が生まれていく土壌を、地道に育てていく必要はないでしょうか?
まあ、そんなことを考えました。