愛は公平ですか。不公平ですか
そもそも公平な愛、平等な愛は、愛でしょうか。
公平や平等は、むしろ正義に属するのであって、
愛とはちがうでしょう。
例えば、行政のサービス、愛し方は、
公平、平等であることが優先されますが、
それゆえに、一人一人の事情や状況に寄り添うことができないでいます。
平等な愛は、考えることも、悩むことも、葛藤することもありません
本当に誰かと出会い、愛するなら、どうしても不平等になるものです。
自分の子どもと、他の人の子どもを、平等に愛するべきでしょうか。
自分と友達を平等に愛する親から、子どもは愛を感じるでしょうか。
自分の妻と他人の妻を平等に愛するべきでしょうか。
イエス様は、なぜ12人の弟子だけを選んだのでしょう。
その中でも、3人の弟子だけをつれて、ご自分が苦しみ祈る姿を見せたのでしょう。
愛は平等であるべきでしょうか。不平等なものでしょうか。
かと言って、
自分に関わるものだけを愛する偏愛や、
差別という自己中心の自己愛は、愛と呼べないとすれば、
偏愛や差別でも、
平等でもない
それが愛であるとすれば、
愛と召命とは切り離せません。
自分は神様によって
今、誰を愛するようにと、召されているのか、
一瞬一瞬祈り、悩み、考え、行動するしかないのです。