『脱日常』

頑張ってさえいればいいかというと、ちがうわかです。

なぜなら、進んでいる方向が、いつのまにか行くべき行き先からずれていたら、頑張れば頑張るほど、的はずれな生き方、人生になってしまうからです。

そして、歩いている方向がずれていることは、歩きながらでは気が付かないのです。

いったん、歩くのをやめないといけません。頑張って歩いてさえいればいいのだと、だらだら歩き続けているうちは、進んでいる方向がずれていることに気が付けないからです。

なにか活動していないと、動いていないと、頑張っていないと不安な人は、立ち止まれないし、立ち止まる価値がわかりません。

やるべきことがあっても、勇気を持って、いったん立ち止まる。そしていま、歩いている方向で大丈夫か、地図を広げることは、ずれた方向に歩んで、人生を無駄にしないために意味あることです。

週に一度。仕事でも、学びでも、家事でも、なんでも、とにかく、だらだらと続いていく日常を、一旦断ち切る。中断する。やみくもに歩くことをやめて、天からの地図を開くのです。

週に一度の、脱日常。

現代人が、教会の礼拝に集う意義は、まさにそこにあります。