信仰を捨てる可能性

「沈黙」が上映されるので、改めて背教について考えてみた。

信仰を捨てるというのは、可能なのだろうか。

たとえば、あなたの親を、親と信じるのをやめよと言われて、

親の顔を書いた絵を踏んだからと言って、

自分が親から生まれたことを、信じなくなれるものなのだろうか。

信じていないふりしかできないんじゃないかな。

親から生まれたという事実は、踏み絵をふもうが、「あなたなんか親じゃない」と口で言ってみようが、変わりようがないのだから。

同様に

天の親に愛されて、この地上に生まれてきたという事実は

生まれてきた側の人間が、何をしようとも、否定しようのない神の出来事なのだから、

それを人間の側から、捨てるとか、捨てさせるという行為は、

原理的に不可能なんじゃないかな。