永遠を思う心

今日の黙想
コヘレトの言葉3章


「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。」11節


コヘレトは、何事にも、定められた時があるという。

「時」は不思議だ。二度と同じ時はこない。

昨日の自分と今日の自分は違う。昨日の自分が知らなかったことを、今日の自分は知っているからだ。

そして明日の自分は、今の自分の知らないことをしっている、違う自分。

そういう意味で、歴史は繰り返すことができない。

すでに起こった出来事を、知らなかったことには出来ないのだから。

そして、これからなにが起こるのかも、だれにもわからない。

神のなさる業を初めから終わりまで見極めることは、

今という時を生きることしかできない人間には

許されていないのだから。

ただただ、時という枠組みをこえて、すべてを見通しておられる神が

時宜にかなう出会いと出来事を造っておられると、

信頼して、二度とない今を感謝しっつ生きる心のことを、

「永遠を思う心」というのであろう。