喜びとは、年々深まっていくもの

今日の黙想
 詩編126編

「涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる」5節

この詩編はおそらく、イスラエルの民がバビロン捕囚から戻ってくるときのことを歌った歌なのだろう。

「主がシオンの捕らわれ人を連れ帰ると聞いて
わたしたちは夢を見ている人のようになった」1節

聖書は至るところで十字架と復活を一つのこととして示しているけれども、

この箇所でも苦しみの時と喜びの時が一つのこととして語られている。

涙を流す日があるから、喜びの歌を歌う日がくるのだと。



ある人が「楽しみ」と「喜び」は違うということを言っていた。

たしかに年を重ねるごとに、楽しみよりも、喜びを感じる機会も、増えていくのだろう。

そういう意味で、年々楽しみは減っていっても、むしろ喜びは深まっていくのだと、信じたい。


「なぜ神が愛なら、この地に苦しみがあるのか」という問が昔からあるけれど、

それに人は答えることはできないとしても、

だからこそ、天には喜びが満ちている

という信仰による希望を抱くことは、ゆるされているんじゃないかな。

「種の袋を背負い、泣きながら出ていった人は
束ねた穂を背負い
喜びの歌と歌いながら帰ってくる」6節