人間の中に目に見える肉体と目に見えない霊魂があり、
人間の肉体は滅び、霊魂は滅びず、
救いとは、霊魂を束縛している肉体からの離脱
と考えるのが
ギリシャ的な霊肉二元論
輪廻からの解脱が救いであると説く宗教も
基本的にはこのギリシャ的霊肉二元論
さて、聖書も目に見える自然界と、目に見えない霊的世界の存在を語っている二元論
目に見えない神と目に見える自然界という二元論
この聖書の、神 対 自然界 という二元論は、
ギリシャ的二元論の 物質 対 霊魂 と 一見似ている
しかし、根本的なところで異なっている。
まず、ギリシャ的二元論では、物質は悪であり、脱ぎ去るものであり、離脱すべきもの、
人間はこの世界から逃れ、神のもとに逃避することが救いと考えられる。
一方、聖書的(ヘブル的)二元論は
この世界は完全ではないが、逃れるべき「悪」ではなく、本質において、神によって造られた「良いもの」
その地上の歴史を生きる人間に、神の方から訪れてくださり、人は神に出会い、神を知っていく。
違う言い方をすれば、
善と悪にわけて、悪からの離脱をとくのがギリシャ的二元論なら、
不完全と完全にわけて、不完全なものを完全へと至らせるプロセスを、救い、と説くのが
聖書のヘブル的二元論、なんじゃないかな。
そう考えると、小さい頃から勧善懲悪、ウルトラマン、仮面ライダー、水戸黄門。なんでもいいけど、善悪をわけて、悪を叩くギリシャ的二元論の救いに、わたし達はなん
と洗脳されていることでしょう。