いまさらですが、
教会は学校をやっているんじゃなくて、
宗教をやっているんですね
教育と宗教は、扱う領域が違うんです。
教育は目に見え、検証できる領域を扱うし、宗教は目に見えない領域を扱うでしょう。
そして、
教育の「わかる」は知的な理解だけど
宗教の「わかる」は、人格的な出会い、命に触れ、悟ることなんです。
教会は、宗教をやっているので
聖書の言葉を通して、
神の愛、神の命に
出会い、触れ、悟っていく現場なんです。本来は・・・・・
でも実際の教会の中で飛び交う言葉には、
先生、教師、生徒、学校、(聖書)研究、(聖書)の勉強、学び
と学校用語がなぜかたくさん使われているんです。
教会が学校化すると
目に見えること、検証できることしか扱わないという、
教会の世俗化につながり
目に見えない、人格的な出会い、触れ、悟る
宗教として託されている教会の命の力が、
失われていく気がするんね。