2015年 主にあって、明けましておでとうございます。

さて、新年には、なにか新しい決断をするものです。

何かを決める、決断するとき、

よく聞く言葉は「すべては自己責任」という言葉

何かを始める、何かをやめる。何かを買う、何かを選び取る。

その決断と結果は「自己責任」であるという。

そこで言われていることは、

「他者に依存してはならない」

「自分の行動、発言の責任を、他者に押し付けてはならない」

「自分のしたことは、自分で責任をとるのが大人だ」という意味でしょう

ただ、一方でこの主張は、

人間は一人では生きられず、

たった1人で生まれて、自己責任で育ってきた人など、

この世界に一人だっていないことを、忘れています。

人は、だれかと繋がっていないと生きられないし、

他者がいるから、その鏡によって、自分自身を知り、自立していける

そして、その自分の選択、決断も

周りの状況、他者とのつながりのなかで、なされていくのであって、

まったく真空状態の中で、一人だけの決断ではなく、

どこかでだれかと繋がってなされている決断と選択のはず。

なので、

「すべての責任は、自分が取ります。自己責任です」

というのは、実はすこしおこがましく、高慢。

人間は、究極的には、責任なんてとれっこないから。

究極的に、「自己責任」を取れるのは、

自分で自分を存在させている「神」だけ

自分一人で生きられず、

他者を必要とし、他者とともに生きるしかない、限りある人間は、

自己責任では、いきられない、

どこまでいっても、誰か他者を必要とする、赤ちゃんの部分をもつ存在

そのことをちゃんと認めて、

むしろ、いのちを与えてくださった神さまを愛し、神に依存し、神に繋がり、

そして、だれかとつながり、だれかのために、だれかと共に生きる、

そういう責任をこそ、神さまが与えてくださっていることに、

この新しい年の初めに、さらに目覚めて、

もう一歩、新しい出会いへと、踏み出していきたい。

そんな思いで迎えた、

2015年 新年の朝





マタイによる福音書22章36節~

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
エスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。
第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』