なにかする人と何かされる人

shuichifujii2014-05-14

人が生きているということは

「自分が何かする」か「人が自分に何かする」か

常に、二つの内のどちらかをしている状態。

そしてつい「自分が何かする」ことに価値があると考えるけれど、

「自分が何かする」ためには、それを「される人」が必要だということを忘れている。

寝たきりの人は、他の人のために何かをすることはできない。

それでは、生きている意味がない?そんなことはない。

他の人が何か行う愛の行為を、まっすぐ受けとめる尊い働きをしている。

人を「愛する」「世話をする」ということは、それを「される人」がいて初めてできることなのだ。

人々に愛を注いだマザーテレサと同じくらい、その愛の行いを「されるがまま」に受けてくれた人々の存在は尊い

家族のために何か良いことをすることと同じくらい、それを「されるがまま」
受けてくれる家族の存在は尊い

前半、人々のために良いことをし続けたイエスさまも、地上の人生の最後は、ただ人々から「されるがまま」でいてくださったように