里山資本主義

shuichifujii2014-04-03

(写真は、地元の山のくるみ)

 最近、山形教会のS先生から、本をお借りしました。
 里山資本主義」藻谷浩介 NHK広島取材班

 目からうろこの連続。そして、とてもうれしくなってくる本です。

 わたしは、酒田に来て7年以上経ちました。昨今、地方都市はどこもそうでしょうが、ここ酒田も、ご多分にもれず、若い人の働く場がなく人口が流出しつづけています。
 福音を伝えた若い人たちが、やがて他の地方に出ていってしまうのは、本当にさびしいことです。
 かといって、企業誘致もなかなかままならず、あったとしても、働きがいのある仕事とも限らない。

 なんだか、とてももったいないと思うのです。
 なぜなら、この庄内には里山も川も海もある、非常に美しいところだからです。
 初めて酒田に来た時、ここは旧約聖書にある「蜜と乳の流れるカナンの地」じゃないか、と思ったほど。

 それらの宝の山が、実際の地域社会の豊かさに、あまり還元されていない気がして、もったいないと思うのです。

 さて「里山資本主義」を読むと、今、山の木を丸ごと使って、電気や石油など地域の外からのエネルギー供給に頼らなくても済む地域を目指している、真庭市という場所があることを知りました。
バイオマスタウン真庭市
http://www.city.maniwa.lg.jp/html/biomass/

「1960年代に入るまでは、エネルギーは全部山から来ていたんです。木炭や枯葉も拾ってきて燃料にしていたのですから。それを、日本全体でやるというのは、無理がありますが、地域によってはエネルギーの一翼を木材が担う、ということはできると思います」里山資本主義P.38)

 実際、木屑で発電し、石油・石炭の値段に左右されない地域経済を営んでいる実例は、読んでいてワクワクしました。


 また超高齢化社会の島で、自分も地域も利益をあげているさまざまな事例や、オーストリアなどでは、すでに木材をエネルギーとするエネルギー革命が起きていることなど、目からうろこが何枚もはがれては落ちていったのでした。


 わたしの父があるときいいました。

「昔は、田舎ならお金がなくても、なんとか生きていけたけど、今は、お金がないと、生きることさえできなくなった」

これは戦前、戦後を生きてきた世代の実感なのでしょう。支え合う人のつながりさえも、なくなってきた現代。

「マネー資本主義」が極まり、「お金」がなければ、生きられなくなるほど、すべてが「お金」でしか回らなくなる。

お金は今や「神」の立場に立とうとしている。実は、ただの「紙」なのに。

そのように、ますます「お金」に依存し、「お金」によって人間らしく生きることが阻害されていく方向性に対峙するように、お金に依存せず「水」「食糧」「燃料」など生存に必要なものを手にいれるサブシステムを再構築する提案。それが「里山資本主義」といえるでしょう。

なにも、地球の裏側の化石燃料を買うために、お金を払わなくても、近くにあるエネルギーを地元で使えばいい。

なにも、遠い場所でつくられ、高い輸送代を払って運ばれてきた野菜をたべなくても、地元の野菜をたべればいい。

海にも川にも地元を支える資源はたくさんあるじゃないか。庄内の山には、湧水が出るところがたくさんありますしね。

そして、お互いに交換し合い、助け合う信頼関係をつくっていく。

「お金」がなくても、「水」「食糧」「エネルギー」という生きるためのサブシステムをつくる。

今まで、「お金」にならないというだけで、見向きもしなかった、身近にある宝の山を、新しい発想と視点で活かし、雇用を生み出し、地域を活性化させるリーダーが、庄内にもたくさんあらわれてほしいなと祈ります。

東日本大震災の時。すべての物流がとまり、お金という道具が役立たなくなった。お金では、必要なものが手に入らないという経験を、わたしたちはしたのです。

大切なのは、「お金」を「神」にしないことです。わたしたちを活かしているのは、「紙切れ」じゃなく、この世界をつくられた「神」なのだから。

神さまが与えてくださった、「水」「食糧」「エネルギー」という資源は、すでに庄内にある。それをもっと活かし、分かちあう関係をつくっていく「本当の財産」こそ、疲弊しつつある地域を救う。そんな思いをいただいた本でした。

P.S. この投稿を読んだある方から、「庄内にもこのテーマで頑張っている仲間がいるよ」と連絡をいただきました。
「エネシフヤマガタ」
https://www.facebook.com/groups/eneshif.yamagata/

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