昨日の礼拝

 昨日の日曜日は、東北の仲間の教会が、酒田のわたしたちを覚えつつ、礼拝を捧げてくださる日でした。感謝です。

 ところがわたしときたら、インフルエンザで、高熱が三日続き、この状態で礼拝にでて、人にうつすわけにはいかないということで、昨日の礼拝の説教原稿は妻に託しました。

 いつも酒田の礼拝に来られる、教会員のHさん夫婦は、娘さんの高校の卒業式なので、この日は、来られないことはわかっていました。ただ、最近礼拝に来られているSさんがこられるかもしれないですし、神の言葉を求めて、だれかが訪ねてくるかもしれませんから、できるだけいつもどおり礼拝を捧げてほしいと、妻にすべて託しました。

 その日は娘も熱を出していたので、5年生と年長の息子二人と妻の3人が、いつもの時間に教会に。

「Sさんくるかな。誰も来なかったら、3人でさびしいだろうなぁ」
そんなことを、布団の中で考えつつ、イエスさまにお祈りするわたし。

さて、お昼ごろ、教会から帰ってきた3人。なんだか楽しそう。

妻が嬉しそうにいいます。「いい礼拝だったぁ。結局だれもこなくて、3人で賛美歌を歌ったけど、とてもよかった。いつも礼拝の時ちょろちょろしてる勇希もちゃんと礼拝したよ。あ、説教は結局嗣音が読んでくれた。彼は、自分が説教した気になってるよ」

満ち足りた顔で語る彼女の言葉は、本物だ。よかった。

だれもこなかったらさびしいだろうな、なんて心配する必要なかった。
一番大切な方、イエスさまが来てくださったのだから。


「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」マタイによる福音書18章20節