いまどきの教会について、ちょっと考える

 アメリカ的、個人主義傾向の強い現代の教会は、聖書が教える教会の姿とは、だいぶ様相が違う。

 現代の教会は、ただばらばらな個人が集合しただけの団体のよう。

 気に入ったなら加入すればよいし、嫌いになったら電話一本かける煩わしさもなく、無責任に黙って抜けてしまえる。

 たとえるなら、救われた者が天国行きの列車を待っている「待合室」

 待合室自体は積極的価値を持たず、偶然そこで一緒に列車を待つようになったに過ぎない。いやなら別の場所で待てばよい。

 たとえるなら「劇場」

 内装を整え、エアコンを効かせ、美しい音楽と、楽しくて有益な講話があり、いつも入場者数を気にして、一喜一憂している。

 たとえるなら「ガソリンスタンド」

 一週間、仕事でエネルギーを使い果たし、ガソリンの補給にやって来る人が、たまたま顔を合わせて、去っていくにすぎない場所。

 しかし、聖書の教える教会は、個人が自分の好みや利益のために選ぶようなものではなく、神が招き、共に生きるように導かれた共同体。神の家族。神の民。

 キリストは、この共同体(教会)を実現するために、この世にきてくださったからこそ、弟子たちにこう語った。

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と

だから、教会では「わたし」と「神」という個人的な信仰ではなく、つねに、「わたしたち」と「神」と、「わたしたち」が主語になるのが、本来の姿。

そういう意味で、個人主義アメリカの教会にまさって、そもそも、人との関係の「和」を大切にする日本の教会に、聖書の教える、共に生きる教会の姿を見ることができるはずなのである。

はずなのである・・・・。