いちずだよなぁ

shuichifujii2014-01-13


 わたしたちののぞみ教会は、日曜日に集まる人数はまだ少ない小さな教会なんです。7年前に、わたしと妻と二人の子どもたちが東京から酒田に移り住んで、借家を借りて教会の看板を出して、日曜日に礼拝をするところから始まったわけですから、まあ、それはそうなんです。

 ただ、そもそも東京の教会にいたわたしたち家族が、酒田に移り住んで、小さな教会で礼拝を始めることになったのは、東北にあるいくつかの仲間の教会が、もう19年くらいも前に、「酒田にも教会ができたらいいねぇ」と心を合わせてお祈りして、「じゃあ、いってイエスさまのことを伝えましょう」と決めたのが、ことの起こりだったわけです。それから数年、実際に山形市や仙台、秋田、盛岡、青森、福島。様々な教会から、月に一度くらいのペースで、わざわざ酒田にまでやってきて、ホテルの会議室などを借りて、酒田の知り合いを呼んで聖書のお話をしたり、事前にくばられたチラシをみてきてくださった方に、聖書のお話をしたりしていたんです。


 なんだか、わたしが言うのもなんですが、この「効率と短期的な成果、評価」を求める時代にあって、迷いや疑いもいつもあっただろうけど、本当にけなげに、純粋に、あるいみ無鉄砲で、でも不器用な・・・。であるからこそ表も裏もない「いちず」さで、「イエスさまの愛を知ってほしい」とまっすぐに酒田にやってきた、そんな東北の仲間たちの思いが、最初からあったんですね。

 まあ、長い話を短くすれば、そんな酒田という場所に、7年前に、「今度はあなたたち家族が行って、神さまの愛を伝えてくれないか。生活などのサポートはできるかぎりするよ」と、東北の教会のみなさんが決めてくださって、わたしたちも、迷いも恐れは当然あったけれども、「これは神さまが招いてくださった」と、ただそれだけを信じてやってきたんです。

 わたしも妻も、地方は初めてであるし、どちらかと言えば内向的で、不器用であるし、知らない土地で、知らない人の中にどんどん入っていくような人間じゃないし。

 いまおもえば、本当に単純というか、無鉄砲というか、無謀というか・・・
よく、心理的につぶれないで、ここまで生きのびてきたなぁと思いますね。


 でも今日、改めて思ったのは、それはやっぱり、わたしたちには、仲間がいるからなんですよ。

 「彼ら、大丈夫かなぁ」と心配して祈っていてくれる仲間が東北や日本中にいるんです。そんな目に見えないつながりが、わたしたちの財産であり、命綱なんですよ。

 それがあるからこそ、家族以外、だれも日曜日に教会に来ない日も、礼拝を捧げ続けてきたし、何人かが教会に来てくれるようになったり、来なくなったりして、今でも家族以外に一人、二人という日も多いけれども、それでも、いやそれだからこそ、集まった一人ひとりと、二度とないその日の礼拝を、心からの捧げてこれたんじゃないかな。


 今日は仙台の教会に東北の教会の仲間が集まって、イエスさまの愛を伝えるために、一緒に協力するための、話し合いをしてきたんです。そんな皆さんが、酒田のことを本当に大切に大事に考えて、アドバイスをしてくださったり、なにか出来ることはないかと、考えてくださったり、「ああ、この繋がり、仲間に支えられているんだな」と慰めと力をいただきました。

 神さまの愛や慰めは、結局、人を通して伝えられていくんです。神さまは人を通して語られる。だからこそ、宣教師は出ていって、神さまの愛をかたるわけでしょう。神さまは人を通して「愛している」「大丈夫だ」と語るんです。孤独を感じる時、行き詰る時、そんな仲間を通して語られる神さまの愛の励ましをいただけることは、本当にありがたいこと。


 そんな神さまの愛を受けたわたしたちが、この酒田に帰ってきて、ここに生きて、ここで出会った人々に、受けた神さまの愛を分かち合っていく。失望している人に、苦しい思いをしている人に、「大丈夫」「愛されているよ」と神さまの愛を語る。

 そんなまっすぐで、純粋で、いちずな、神さまの愛の流れのなかに、身を置いている喜びを、今日、改めて感じることができて感謝!!



1テサロニケ3章6節〜7節

「ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えていてくれること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。

それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。
あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。」