無駄にはならないから

過日天に召されたネルソン・マンデラは、46歳の時に投獄され、実に73歳までの27年間獄中生活を送りました。

 その後、釈放されてノーベル平和賞受賞、南アメリカ大統領に就任し、歴史に名を残す大きな働きをすることになるとは、おそらく想像だにできなかったであろう27年にも及ぶ獄中生活。

 人生の中でも、もっとも脂がのった40代〜60代を、獄中で無為に過ごさざるを得なかった当時のマンデラ氏の思いは、いかばかりだっただろうと思います。

 また昔、エジプトの奴隷であったイスラエルの民を、エジプトから解放したリーダーであるモーセ

 モーセは40を過ぎて社会的立場を失い、以後40年間にも渡る逃亡生活、隠遁生活ののち、80で神と出会い、神に導かれ、実に困難で偉大な働きのリーダーとして、彼は用いられていったのです。

 合理的、効率的な現代の価値観からすれば、自由を拘束され、活動が出来ない時間とは、すなわち「無駄」であり、そこに意味などみいだすことはできないでしょう。

 しかし、人間には「無駄」に思える時間にこそ、人には計り知れない神の大きな計画が秘められている。

 それはある人には、心や体を病まねばならない時間であったり、苦難や試練に翻弄されるだけの時間であったり、活動のできない自分を責め、苦悩する時間であるかもしれない。

 しかし実に、そのすべて時に深い意味と価値があり、神さまの偉大な計らいは、その全ての時を必要としている。

 ゆえに、神の愛と導きを信じよう。信じ続けよう。

 神の救いの完成する日を、待ち望もう。



「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」
新約聖書 コリントの信徒への手紙1 15章58節