普遍性のある言葉

shuichifujii2013-10-01

いろいろな人と出会って話す時、同じ人間として、大切だと思うこと、求めていることが、深いところで繋がっているなと感じる、そんな話ができるときは嬉しい。

昨日も、「仕事や、お金はもちろん大切だけれども、それは家族のためなのに家族を犠牲していたら本末転倒だよね」なんて話を、PTAのお父さんとした。人を愛するため、愛されるために生きるという、人間の本質において、全ての人は共感できるのだ。

それは人の大もとをたどると、同じ源によって存在したからと考えられるし、その源を神と呼ぶか、ハイヤーパワーと呼ぶか、天の父と呼ぶかはともかく、だからこそ、人は根底部分で共感し合えるんじゃないかと思う。

2000年も前のイエスの言葉と生き方が、いまだに共感され、信じられているのは、イエスが立派な賢人だったということを超えて、わたしたちのすべての源から来た真理の言葉を語り、生きたからに違いない。

今、どんなにすごい人間の立派な言葉を本にしたとしても、それが2000年後の全く違う文化、世界にまで、共感されつづけ、人を救う言葉として、語られることは、まずありえない。

エスの言葉は、そんじょそこらの「いいことば」のたぐいとはちがう。時と文化を超えた永遠の普遍性がある。

だから、イエスの言葉は、神の言葉といわれるんだ。