「クリスチャンらしくなろう」(9月29日週報巻頭言)

 皆さんは今、「クリスチャンらしい」ですか?
 一般的には、「クリスチャン」とは真面目で勤勉で、お酒もたばこもしない人が「クリスチャンらしい」と思われています。しかし、別にクリスチャンではなくても、そういう品行方正な人はたくさんいます。

 むしろ「クリスチャンらしさ」とは、周りの人から「あの人はイエスさまに似ている」と思われるようになる、ということです。

 ではイエスさまは、当時の周りの人々からどのように見られていたでしょうか?

「人の子(イエスさま)が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。」ルカ7章34節

ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。」
         マルコ2章16節

「ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
       ルカ19章6節〜7節

 イエスさまは、周りの人々から品行方正で真面目な人とは見られなかったのです。むしろ「あんな人と友達になるなんて」と批判されるほどに、いろいろな人と出会い、神さまの愛を分かち合いました。

 さて私たちは、今どのような立場の人とでも、共に生きようとしたこのイエスさまの姿に似ているでしょうか。むしろ、人を裁いてしまい、自分の殻に閉じこもっていた、律法学者に似ていないでしょうか?

 わたしたちは、もっともっと、イエスさまに似ているといわれたいのです。そんなクリスチャンらしくなりたいと、心から願うのです。