「証しよう」(2013年8月18日 週報巻頭言)

 今は、あちらこちらで夏祭りの時期です。教会の周りでも、子どもたちがおみこしを担いで家々をまわっています。
 何かはっきりとは分からないけれども、目に見えない存在がいて、その存在に自分たちは守られている、という宗教意識が誰の心にもあります。なので古くからお祭りが行われてきました。
 この世界を、自然を眺めて、これらを存在させた目に見えない大いなる存在を感じる心が人間にはあるのです。
 いいかえれば、自分の命の故郷を感じる心、それが宗教意識です。しかし、それだけでは「なんとなく遠い存在」としかイメージできないので、具体的な物や像という偶像を通して、その大いなるお方をイメージしようとしてきた。それが多くの宗教の成り立ちです。
しかし実はその大いなる存在は、人間に語りかけているのです。かつては預言者という存在を通し、そしてついに主イエスにおいて100%、御自分は「あなたがたの天の父」であると証してくださいました。
 この天の父が遣わされたイエスさまの証と出会い、宇宙を造られたお方が、「天の父」であることをわたしたちは知ったのです。わたしは天の父に愛されている子だと知った喜び。

 その喜びは、あの人にも「天の父」のことを知らせたいと、神さまを証させるのです。あの人も「天の父」に愛されている子だと気付いてほしいと、証したくなるのです。

「みなさんが心の底で感じている大いなる存在。それはこの宇宙を創造した神さまですよ」

「神さまは、あなたを愛している天の父なのです」

そのようにイエスさまの言葉を証ししましょう。喜びが広がります。

 イエスさまを信じて証言するあなたの存在自体、今まさにイエスさまがあなたを通して働いておられる証なのですから。