今日は朝、小学校の登下校を見守る、「見守り隊」とこどもたちとの対面式に参加
この対面式に参加するために、仕事を何時間か休んで参加したお父さんもいて、子どもたちへの思いに感動
こどもたちを見守る大人たちの愛のまなざしの多さ。豊かさがこの地域にはある。
あらためて、この地域は人として生きやすい恵まれたところだと思う。
さて先日、被災地の仮設住宅の支援をしている方から、少し現状を伺った。
仮設住宅における人間関係の難しさ。ある仮設では、高齢者とこどもたちが居場所の問題で、激しく対立してしまっていると聞いた。
置かれた状況の厳しさゆえであろう。だれもがその状況に置かれれば、同じことになるかもしれない。
それを理解したうえで、やはり人と人との関係ほど難しいものはないなとあらためて思う。
ゆるしあい、愛し合う。この実にシンプルで単純な、わかりきっていることが一番難しい。
愛することをさせなくさせる束縛の力の強さ。
自分の中の怒りや不満を、状況のせいと思わせ、相手の振る舞いのせいと思わせる欺き。
わたし自身の心の中をのぞいてもまさにそう。
あなたのせいで怒っているというとき、自分は、そのあなたの奴隷となりさがっている。
本当は、自分の心の状態は自分の責任であり、自分が治めるもの。他人の振る舞いなどどうでも構わないのだ
大切なことは常にシンプル。状況や環境の違いは、実は本質ではないはず。
本当の愛は支配せず、自由をあたえる。
かわりゆく人の愛ではなく、変わらない神の愛こそが、人の振る舞いに縛られやすい心に自由と喜びを与え、解き放ってくれる。
神の愛に見守られていることに気づいた、人と人との空間。
その空間こそ、この地において人として生きやすい空間なのだろう。
旧約聖書 箴言4章23節
「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」
新約聖書 1ヨハネの手紙4章7節
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」