「いまの状態はだめで、なにかを変えてもっと良くしなければならない」と「今を否定する」ことから考えをはじめていませんか。
「今はだめだ」と思う人は、たとえ頑張って成長したり、状態がよくなったとしても、いつも「今はだめだ、もっと」と思うので、いつまでたっても喜びがないんですね。
そうではなくて、「今までも、そして今も良い」と、状況の浮き沈みに左右されずに「今を肯定する」人は、いつも「今は良い」と思っているので、常にしみじみとした喜びがあるわけです。ある意味、「いいなぁ」といつも思っているわけだから当然ですね。
確かに人間のすることには間違いもあるし、失敗もある。問題も課題も人生には沢山ある。自分や他人の過去を振り返って、もっと最善の判断があったんじゃないかとおもうことなんて、だれだっていくらでもあるでしょう。
でも大切なのは、自分や他人が、より正しい決断をしたとか、しなかったということじゃないんです。どのような状況であれ、「今を良い」と肯定することです。
「今はだめだ」と否定する人は、その理由としてこう考えるでしょう。「今この状態なのは、なにか過去の決断や行動において、自分が、他人が、なにか間違ったからだ」。こう考えるので、結局自分や他人を裁いて、もっと状況を悪くしていったりするわけです。
まあある意味、いつも「ダメだ」と思い、そのように自分が信じている通りに、実現してしまうわけです。
一方で、常に私たちの人生のなかで、生きて働いてかれる愛の神さまを信じるとき、「今この状態も、神さまの愛の導きのなかにあるはずだよね」と考えられるので、状況を超えて「今は良い」と受け止められるでしょう。それが愛の神さまを信じる信仰というものですから。
「今は良い」と今を肯定するなら、しみじみとした喜びが湧いてくる。そしてあきらめない心とか、マンネリ化しないアイデアとか、チャレンジしていく勇気というものも湧いてくる。結局「今は良い」と信じた通りに、成っていくわけですね。
新約聖書ローマの信徒への手紙8:28
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」