今日は礼拝に青年のS君も来てくれて、嬉しかったです。
実は13日にも来てくれていたのに、もう礼拝が始まっていて、入るタイミングがはかれなかったみたい。
途中からでも入ってもらっていいのだけど、遅れてきた人が入りやすいように張り紙しておいたほうがいいな。
わたしも20歳過ぎて初めて教会の建物に入った時のことをおもいだせば、ものすごく勇気がいったし、自分なんかが入っていいんだろうかって、どこか居心地の悪さを感じていた気がする。
異文化なんだよね。日本人にとって教会って
福音は文化を超えているのだけれど、どうしても欧米経由の文化をまとっているので、日本人には居心地の悪さがあるにちがいないなぁといつも思っているのです。
普通の人が居心地のよい、落ち着く雰囲気の場で、礼拝を捧げたいんですね。まだ工夫が必要だな。
とはいっても、S君はずいぶんこの教会が居心地がよかったみたい。
礼拝の後、わたしは山形教会に用事で出かけて、夕方にかえって来ましたけれど、S君。まだ妻と話してました。
子どもたちともめいいっぱい遊んでくれて感謝です。
青年のHさんも午後もゆっくりして、一度家に帰ったのだけど、夜、わざわざ我が家に手作りのミートローフを届けてくれました。家族みんな感激。うれしいなぁ。愛されているなぁ。
うちの教会って、やっぱり温泉教会なんだ。
一緒に賛美歌を歌って、お祈りして、福音のうれしい話を聞いて、感謝だねって喜び合う。
一週間、みんな、いろいろつらいこともあったし、心も体も疲れているでしょう。
日曜日は神様を礼拝して安息する日。一緒に神様にお祈りすると、不思議にほっとする。そしてほっとした人が集まっているところは、居心地も良くて、心も体もあったまって癒される。温泉教会。
神様は人を通していつも働いているんです。神様って観念じゃないんです。具体的に今日も、今も、人を通して愛を伝えてくださっている。
そして、神様の愛って、人と人との交わりのなかでこそ体験するんですね。
それが教会なんだよなぁ。