神の愛に導かれ、今ここに」(12月30日週報巻頭言)

shuichifujii2012-12-29

 今日は2012年最後の礼拝です。
 今年も様々な出来事、出会いが与えられました。
 人は一人では活き活きと生きることはできません。人間の体も活き活きと生きるためには、血の流れが大切なように、人と人とが出会い、心を通わせて交わりをもつことは、活き活きと生きていくために、大切なことです。

 血の流れが滞ると、そこは病気になり、血が流れなくなればその部分は死んでしまいます。
 人と人との交わりとは、お互いの間に愛と信頼をはぐくむことであり、愛と信頼という命の血の流れを流すことです。
 しかし、その血の流れを滞らせる罪という病気を私たちは抱えています。愛と信頼を求めながらも、自分のエゴという罪によってそれを壊してしまうのです。
 ヘロデ王はお金も権力もすべて手に入れながら、愛し、信頼することができず、周りの人を自分の地位を脅かすものとして、殺さずにはおられなかった哀れな王でした。しかしそのヘロデの心。愛と信頼を壊してしまう思いは、私たちのなかにもきっとあるでしょう。 
 一方、命を狙われすべてを失いながら逃避行をしていたヨセフとマリア。その真ん中には幼子イエスさまがおられました。幼子イエスさまを必死に守ろうとするゆえに、二人は愛と信頼によって支え合い、それによって神さまに守られ、行く道を導かれていきました。

 愛と信頼のある人と人との間に、神はおられます。神は愛だからです。

 私たちの間におられるイエスさまはその十字架の血によって、罪を清め救ってくださいました。この十字架の愛という血の流れ。神がくださる愛と信頼が、お互いの間に流れるとき、わたしたちは互いを抹殺するのではなく、活かしあう喜びを体験するでしょう。
 金も権力も手に入れたヘロデが、どうしても手に入れることのできなかった愛と信頼。実はこの世界が求めてやまない、神の愛という宝をわたしたちは持っています。この神の愛を分かちあい、この世界に証するために、わたしたちは、ヨセフとマリアのように神に導かれ、こののぞみ教会で出会った仲間。そう信じるのです。