「すべて新たに」

shuichifujii2012-12-05

今日は午前中祈祷会

祈祷会では、毎週ヘンリーナウエンの著作を読み進めています。
「今ここに生きる」「静まりから生まれるもの」を読んできて、
今日からIさん、私と妻とで「すべて新たに」を読み始めました。







すべて新たに

すべて新たに

退屈、つまらなさは、人が孤立している時に覚える気持ちです。
数々のことで多忙でありながら、本当に意味のある働きをしているだろうかと考えます。
人生そのものが、自分の力ではどうすることもできない、まるで行き当たりばったりのバラバラな出来事の連続のように思えてきます。
ですから、つまらない感じを覚えるとは、することが何もないのではなくて、これほど忙しくしているのに、本当に意味のあることをしているのだろうかと疑問を抱くことです。
 この時代の最大の矛盾は、これほど忙しいにも関わらず、同時に多くの人が退屈さを感じていることです。一つのことから次のことへと飛び回っていながら、心の奥深くでは「自分は何か意味のあることをしているだろうか?」と感じています。数多くの役割や義理を果たすのに精いっぱいなのに、「何もしなくても、対して変わりはないのではないか」という思いを否定できません。「人々はわたしを好き勝手にひっぱりまわしていながら、だれも私のことを考えていないのではないか」とさえ思えてしまいます。早い話が、これほど目いっぱい詰まっている人生なのに、少しも充実していないと感じるのです・・・」
P.29

エスは、私たちが本来いるべき場所へと連れ戻そうとしてくださいます。けれども、そのスピリチャルな生活へと招く声は、自分の居場所のなさ、思い煩う姿を正直に告白し、そのことで日常生活がバラバラであることを認めることが出来て初めて、聞きとることが出来ます。・・・P.36

示唆に溢れることばの数々に、新たな気付きを与えられ感謝です。

午後は、原稿の執筆のため、集中できる隠れ家へ。

その間に山形教会のAさんが訪ねてくださったようでした。お会いできなくて残念でした。