手っ取り早い答えではなく

shuichifujii2012-11-28

 午前中はお祈り会

昨日の荒れ模様の天気が嘘のように、晴れ間の見える穏やかな一日

 お祈り会の分かち合いの中で、この時代、目に見えない霊的なものを求める人が増えているんじゃないか、という話になりました。

 本屋に行けば、スピリチャル系の本がよく並んでいる。パワーストーンというものを求める人も多い

 どうしてなんでしょうね、と語りあっている中で、「手っ取り早い答えがほしいからじゃないか」という言葉が出て、なるほどと思いました。

 人生の不条理、不幸や悲しみに、手っ取り早く答えを与えてくれるものを求めて、占いやスピリチャルというものが利用されているのかも。

 でも、手っ取り早い答え、解釈が、はたして本当の意味で解決になるのか、はなはだ疑問です。

 あなたが不幸なのは、「●●をしなかったからだ」とか、「御先祖様が●●だからだ」とか、だから「こうしないといけない」とか。そんな手っ取り早い答えが、この人生を生き抜くために本当に役にたつのだろうか・・・・

 さて、聖書はそんな手っ取り早い答えを与えないのです。だから待つことのできない時代には、あまり人気が出ないのでしょう。

 しかし地上の人生は、天に向かって歩んでいく、途中を省略できない大切なプロセス。手っ取り早い答えなどだせるものではなく、やがて天に迎え入れられるまで、じっくりと神さまからの答えを待ち望むべきものではないでしょうか。


 さて、夕方には旅人を迎え、ゆっくりと語りあいました。

 もう二度とこない今日という日。永遠の中の一日を十分に味わい過ごせた喜び。

 喜びも悲しみも、みんな神さまの愛の御手の中。

 そう信じて歩むことが許されていること。本当に感謝です。

「わたしたちの生涯は、待ち望みつつ生きる短い期間です。そこでは、悲しみと喜びとが常に口付けしています。わたしたちの生涯のどこを見ても、そこには何らかの悲しみがしみ込んでいます。・・・人生の最も幸福な瞬間にも、かすかに悲哀の色が感じられます。どんな満足感に浸っていても、それには限界があることをすでに気付いています。・・・・喜びも、悲しみも、心の奥深いところから同時に湧き上がるので、この複雑な心の動きを捉える言葉が見つかりません。
 しかし、どんな命のかけらも、死がほんの少しでも触れていないものはないと言うことが身にしみてわかってくると、私たちの存在の限界を超えた先に眼差しを向けるようになります。だれも奪い去ることのできない喜びによって私たちの心が満たされるその日を、期待しつつ待ち望むようになるのです。」(静まりから生まれるもの/ヘンリ・ナウエン P.70


 写真は、勇希が拾ってきたドングリ。帽子が素敵。デザイナーは神さま。