友情

 友情とはもろく、相手を支配したり、採点したり、変えようとすればこわれてしまうもの。
 「先生」と呼ばれる人とは、友情を結ぶのは難しい。なぜなら、先生という言葉には、採点者というニュアンスがどうしてもあるから。
 牧師は教会の人から先生と呼ばれてしまう。それは尊敬の意味があるのは重々分かっているのだけれども、それがかえって、友情を結ぶことを難しくさせていると思う。よく考えてみれば気がつくように、、この人はわたしの友人だと思っている人に向かって、「先生」と呼ぶ人はいないものだ。
 牧師が先生にはなれても、友人になれないとしたらそれでいいのだろうか。イエスさまでさえ弟子たちに向かって、「あなた方を友と呼んだ」と言っておられるのに。
 ああ、わたしのことを先生と呼ばないでください。牧師さん。藤井さん。しゅうちゃんと呼んで、親しい友達になりましょう。教会はイエスさまの友の集まりなのですから。(きっとこんなことをぼやくのは、わたしくらいなんでしょうけど・・)


調べたら、2年前にもおんなじことをブログに書いていました。
http://d.hatena.ne.jp/shuichifujii/20101119#p1