親元に戻ろう

shuichifujii2012-06-04


「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。」1ペトロ2:25

昨日の説教のなかの御言葉。毎週酒田の礼拝ではペトロの手紙を順に読んでいて、昨日は、山形と酒田の礼拝とも、この箇所からみことばをいただく。


 さまよっていた羊が羊飼いのところに戻るとは、もっと身近な言葉にすれば、迷子で泣いていた子が、親のもとに戻ったということ。本当の親である神さまのところに戻る。イエスさまの十字架は、そのまことの親元への帰り道でもあるし、親が子を探すために犠牲を払ってくださった愛の証でもある。


 迷子で不安で泣いていた自分の子を、親が探し出して、「もう、わたしがそばにいるから大丈夫だよ」と言ってくださっている。

 迷子で泣いていた子も、親が登場すればもう安心。なにも状況は変わっていなくても、問題山積みでも、親のもとにさえ戻れたら、子はもう安心。

 毎週の礼拝は、本当の親のもとに戻っていることを、一緒に確認しあって、喜びあうことだし、まだ、その安心を知らないまま、親から迷子になって不安いっぱいの友人を招いて、本当の親と出会ってもらう現場

 みんな頑張っているんだよね。迷子になっていても、泣きもしないで、自分で何とかしないと親の愛を得られないと歯を食いしばっているアダルトチルドレン状態。


 しかし頑張ってもどうにもならない状況を前にすれば、イライラするしかなく、自分や人を責めはじめるしかなく、やがて失望するしかなくなるでしょう。かつての自分もそうだったと思うし、そういう人と何人も出会ってきた。


 天の親のもとに帰ろう。イエスキリストを通して、天の親とつながる礼拝を捧げよう。天の親のもとにさえ戻ったなら、もうなにがあっても大丈夫なのだから。