「わたしのために命を失うものは、それを得る」とイエスは言われます。
喪失なしに過ぎる日はありません。もし自分の内面生活に注意を向けさえすれば、すぐに次のことに気づくでしょう。「多くのことが自分の望んだふうには起きなかった」「期待した言葉を人からかけてもらえなかった」「願ったように物事が進まなかった」等々
 これらすべての小さな「喪失」によって、人生の不公平を嘆く、苦々しい人間になる人もいます。しかし、もしそれらのそれらの喪失をイエスのために生きるなら、すなわち、イエスのあがないの死と深く結ばれて生きるなら、自己中心性から徐々に解放され、神からくる新しい命に向けて心を開くことができます。
 真に問われているのは「喪失を自分のために生きるか、それともイエスのために生きるか」です。その選択は生死を分ける選択です。

Henri Nouwen