神の不在と臨在

フランスのシモーヌ・ヴェイユはかつて、「友情とは、出会い、互いに共感し、やがて互いの信頼を育てるべく別れていくことからなる」と述べました。実に鋭い洞察です。私たちは他の人がいつも一緒にいると、その息苦しさに耐えられません。互いの絆を深めるためにはある程度の距離が必要なのです。恐らく祈りも同じです。私たちは神の臨在と不在の両方を意識します。友人と離れているときと一緒のときとでは、友の性質や、その人との関係について、異なったことを学ぶものです。…

同様に、神の不在と臨在は、私たちの祈りをより人格的な本物の経験とします。もし祈るたびにいつも神の臨在を経験していたら、祈りと自分の空想とを区別することを学べないでしょう。神はある意図をもって、子供の母親のように私たちから少し離れたところに身を置かれることがあるのです。…


…もし子育ての中で、一度もおっぱいを赤ちゃんから引っ込めず、姿を隠すこともしない母親がいるなら、その子供は本当の愛の深みをどのように学ぶのでしょうか。神は私たちと別の存在で、私たちが欲しがるものを与えるためだけに存在しているのではないことに気付くとき、私たちは自分自身をより現実的に見られるようになるでしょう。

prayr transforming friendship

James Houston