「柔和」

「柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。」マタイによる福音書5章5節


広辞苑によると「柔和」・・・性質態度がやさしくおとなしいこと

とありますが、ただ、この聖書の「柔和」という言葉は、そのようなやさしくおとなしい、という意味ではくみ取れないものがあるようです。

 この言葉の背景には、詩編37編があると言われます。

ダビデの詩。】悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。
彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。
主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
主に自らをゆだねよ/主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
あなたの正しさを光のように/あなたのための裁きを/真昼の光のように輝かせてくださる。
沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/悪だくみをする者のことでいら立つな。
怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
悪事を謀る者は断たれ/主に望みをおく人は、地を継ぐ。

 悪事を謀る者のことでいら立つな。

 なぜなら、真実な主がおられるから。主が正義をなされるから。


 最後の、「主に望みをおく人は、地を継ぐ」という「主に望みをおく」という訳が、「柔和」という言葉のニュアンスをよくあらわしているようです。


 「神に頼れない。自分が正義を実現しなければ」といきり立たつ誘惑に負けない。真実なる神への信頼。信仰。そこから生まれる平安


 「柔和」とは自分の心、懐の大きさが求められているのではなく、小さくこころ貧しいものをあえて選び、赦し、愛される、神の愛と真実にゆだねて、落ち着いて生きることでもある。

 「柔和」。深い言葉です。