親が子供にしてあげられること

 いつも教えられている小さないのちを守る会代表の水谷潔先生のブログ。

子を持つ親として、こどものために何が大切なのか、価値観を問い直される記事に出会ったので、お分ちしますね。

信仰継承過激派宣言・親が子どもにしてあげられること(3)
 子どものためと判断して、私立中学受験にチャレンジするクリスチャンホームの親子。それ自体は何ら批判を受ける要素もないと思うのです。しかし、親として子どもにしてあげられる「それ以上のこと」を見失っていたり、そのための努力を怠っているなら、考え物となりかねません。

 では、親として子どもにできること、いいえ、すべきことは何でしょう?そのヒントにと願い、昨年の11月9日の記事からの記事の一部を再掲載します。

最近、ある教会の牧師からお聞きした話。一人のクリスチャンカップルの結婚披露宴、新郎が両親への感謝の言葉。この新郎の父上は弱視で目のご不自由な方。母上は車椅子で生活をされている方。

 伝聞なので、不正確極まりないのですが、彼の両親の感謝の言葉を以下に再現します。趣旨は合っているということでご勘弁を。不正確でもお知らせしたいほど、私は感動したのです。

 「僕は両親が助け合い支えあう姿を見て育ちました。僕の両親は最高の夫婦です。父は寡黙な人で、言葉では多くの事を教えてくれませんでしたが、母を大切にする姿、夫婦が支えあって生きるその姿を通じて、僕に最も大切なことを教えてくれました。こんな素晴らしい両親に心から感謝します。」

 会場が深い感動につつまれ、あちこちで感涙があったことは言うまでもありません。

 いい親であるためには、学歴も教養もお金も健康も、必須条件ではないようです。いいえ、それどころか、「五体満足」である必要さえないのかもしれません。

 このご両親が口にするのに、最もふさわしくない言葉。

それは、「こんな親でごめんね」でしょう。

 親として子どもにできる最高のことを、このご両親はされたのでしょう。このご両親は、すべての親のモデルと言えるのではないでしょうか?

 以上が引用です。私たちは家庭で両親夫婦が愛し合い信頼しあって生活をしていることが、どれ程、子どもの健全な成長や将来の人生の指針に決定的かつ基本的な影響を及ぼすかを忘れています。もし、クリスチャンである両親が聖書の言葉に従って愛し合う夫婦の姿を示すというこの親としての大切な使命を怠りながら、子どもの受験に熱中しているとしたら、それは何と極端な的外れでしょう。

 アメリカを代表する家庭問題を専門とするクリスチャンリーダーは、あるビデオの中で「今日は勇気をもって言いましょう」と前置きして「夫婦共働きが育児をダメにしている」との見解を明言しています。(多分、共働きの形態や動機によるのでしょうが)

 私自身は、既婚者女性は、専業主婦よりは一般社会で人に仕える方がよいと考える方です。しかし、それでも、両親夫婦が共に生活する姿を、子どもが家で見ないような家庭になるような夫婦共働きには反対です。もし、私立中学に子どもを通わせる経済を得ようと母親までもが長時間労働となり、両親がそろう姿を見ることのない生活を子どもに送らせるなら、それは本末転倒と言わざるを得ないのではないでしょうか?

 実際に希望私立校に入学後、両親夫婦の不仲に悩んだり、自らは情緒不安に苦しんだり、勉強に打ち込めず学力不振にあえいだり、不登校になったり家庭内暴力を振ったりする子どもたちのことを見聞きしてきた一人として、「子どものために親ができること」を親が誤ることの責任の重大さを思わずにはいられません。

 聖書の御言葉を再検証してみて、神様の視点から、子どもの立場から、親として子どもにできること、考え直してみませんか?