結婚生活も努力が大切

 庭にいくら美しい花を植えても、努力して手入れをしつづけなければ、そのうち雑草でいっぱいになりますね。
 夫婦関係というお庭も、いくら素晴らしい花を植えたつもりでも、努力を怠れば、雑草でいっぱいに・・・

 さて、神さまに祈って力をいただいたら、今日も努力、努力。


小さないのちを守る会代表 水谷潔先生のブログより

http://blog.chiisana.org/?day=20100128

男を見る目(6)「伴侶選択」より「結婚後の努力」
 ここ二ヶ月で「聖書おふたりさま道」と題した講演を三度程させていただきました。定期的に聖書の結婚観を学んでおられる聴衆が多かったです。どうしても聖書の原則は、誰が語っても同じになりがちなので、プラスアルファとして伴侶選択基準などをお話しさせていただいています。その一部や講演後の質疑応答の内容がこのシリーズ記事になっています。

 私があれこれお話した後で、伴侶選択について強調していることは次のようなこと。

「伴侶選択より、結婚後の努力の方がはるかに大切です」

「クリスチャンの結婚は多くの場合、誰と結婚するかより、結婚後に聖書に従った努力をするかどうか?が結婚を決めます」

「結婚前の皆さんは信じられないでしょうが、極論すれば、自立したクリスチャンであるなら誰と結婚しても同じようなものです。結婚後に努力するかどうかが祝福された結婚のポイントです!」


 心満たされる結婚生活を送っているクリスチャン夫婦の多くはこの見解に賛同していただけるものと、私は自負しております。でも、これは、結婚前にはおよそ考えられない、予想もできない真理、そして事実だと思うのです。

 山形県で奉仕をした際に一人のクリスチャン女性が私にこう語りました。「以前、教会の先輩から『(しっかりしたクリスチャンなら)誰と結婚しても同じ』と言われて、トンデモナイと思っていました。でも、結婚して2,3年したらその意味がわかりました。大切なのは結婚相手より、結婚後の聖書に従った努力ですね」

 こうした発言を実感をもってできる方はこうした努力を経て幸せな結婚生活を送っているか、それにむけて正しく有効な聖書的努力をしておられるのでしょう。

 逆に、最高と思える出会いなのに、結婚後に努力をしなかったと思われるのが、イサクとリベカの夫妻。ラクダにまで水を飲ませる愛の配慮豊かな女性、リベカ。神に結果をゆだね、自らを祭壇にささげる事をよしとして超献身的信仰エリートのイサク。そして、二人の出会いはまさに信仰的で、神様の導きによる御心のもの。

 しかし、イサクは鹿の肉が好きなので、エサウを偏愛。リベカは逆にヤコブを偏愛し、過干渉過保護状態。エサウは今で言えば、神の祝福を軽んじ信仰を離れて未信者と結婚した放蕩息子。一方のヤコブは、信仰は継承したものの、母子密着で自立できず、人格も歪んだクリスチャンホーム子弟。こうなった原因は、イサクとリベカが結婚関係を育てる努力を怠ってきたのだろう、そして夫婦間に対立関係が生じたためだろうとと容易に予測できてしまいます。

 結婚後の努力を怠ることやその結果としての夫婦関係の問題が、子どもの信仰継承破綻や信仰継承した男子の自立不足の温床となってしまうのは、創世記の昔も21世紀日本のクリスチャンホームも同様ではないかと思うのです。イサクとリベカの結婚は最高の出会いで始まり、対立する夫婦関係、最悪の家族分裂、機能不全家庭化をたどったようです。

 そうです。イサクとリベカの夫婦を見れば、「誰と結婚するか?」より「結婚後に努力するか?」の方が圧倒的に重要であることがお分かりいただけるでしょうか?

コロサイの信徒の手紙3章19節以下
3:18 妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。
3:19 夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。
3:20 子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。
3:21 父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。
3:22 奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。
3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。