今日の黙想

「 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(ヨハネ1:1−3)


昨日は自治会の新年会に参加。この辺りは、「道祖神」という神さまを祭っているということをうかがった。「道祖神」とは子孫繁栄の神。男性のシンボルが祭られていた。


日本人が「神」というときは、八百万の神々のように、「地域」や「役割」に「限定的な力」をもつ「神々」がイメージされている。

しかし、聖書がつたえる「神」とは、そのような「地域」や「役割」に「限定的」な存在ではない。「万物」を無から「創造」された方を「神」と語っている。

そして「神」とは、「なんとなく畏れおおい」というような、「無人格」の方ではなく、人格をもたれる「ことば」なるお方。


「神」を知るために、神秘的な体験は必要ない。神秘的な体験の中に神を探す必要はない。なぜなら「ことば」を通して「神」はご自身を啓示しておられるから。


 ゆえに神の「ことば」とは、神そのもの。


その神の「ことば」とは、イエスキリストであると、聖書は告げている。