冒険こそ意味ある人生では?

 先日、Cくんのママさんといろいろ話していたなかで、うちの配っていた「聖書を読む会」チラシがポストに何回か入っていて、「行ってみようかなと思っていたのよ」と言われたのには、すこし驚きました。


「そうだったんぁ。なんだぁ、会場にいくよりまえに、教会のほうから近くにやってきたんですねぇ」と談笑


 そういえば、今、教会に来てくださっているTさんもIさんも、一枚のチラシがきっかけだったのですね。今回、印刷機をいただいて、自前でチラシの印刷ができるようになって、本当にありがたいなぁと思います。


 Tさんは、ご主人に送ったはずのチラシをみて、奥さんが「聖書を読む会」来られたのですね。Tさんは、「もしうさんくさい集会だったら、すぐに退散しよう」とみがまえながら・・・。幸い、うさんくさくはなかったようですが(笑)。


 そんなチラシ一枚を介しての出会い。そして、その出会いを通してのお互いの人生の展開をあらためて思い返すとき、そのすべてを貫いたイエスさまの導きを思います。


 Iさんもご自宅に入っていたチラシをみて、「聖書を読む会」に来てくださったのが最初だったのですね。すごいことだなぁと思います。


 日本では近年、困った新興宗教の事件が良く起こるので、何かを信じること、「信仰」に対するネガティブなイメージがすっかり定着してしまっていて、チラシくらいでは、なかなか「教会にいってみようかな」とは思ってもらえない時代ですね。


 しかし、本当は人間は「信じる」ことをしなければ、人間らしく生きられない存在でしょう。もちろんなんでもかんでも信じるような「妄信」は、結局何も信じていないこと。なぜなら、「信じる」ということは、「選んで決断して飛び込むこと」であり、そこには当然リスクがあるからです。言い換えれば「信じる」ことは「冒険」なのです。TさんもIさんも、チラシを見て、勇気を出して、一歩「冒険」してみたわけですね。もちろん「冒険」だから、失敗するリスクもあるわけです。でも、勇気をだして、一歩踏み出してみたら、TさんもIさんも新しい世界を発見したわけです。

 そういう意味で、人生における一番の失敗とは、失敗を恐れてなにもしないこと。なにも信じないこと。リスクを回避し続けること、と思います。



 最近出た姜尚中の「リーダーは半歩前を歩け」という本の中に、こんな文章がありました。

・・・世の中が豊かになったために、捨て身の冒険ができなくなったのです。持ち物が多くなると、人はそれを失うのが怖くなります。だから、宝物を失わないための「リスク・マネジメント」を、若いうちから徹底して身につけることになります。
国民みなが、子供の時から英才教育のように、危機管理を刷り込まれますから、イチかバチかの決断が、できなくなるのです。

 たとえば、何かいうと「それ、危険じゃないの」とか、「そんなことしたら損するよ」といったセリフをよく聞きます。「冒険」をしたがりません。というより、冒険の意味すらわかっていないのではないでしょうか。冒険といえば、『海底二万里』や『八十日間世界一周』などの作品で有名なジュール・ヴェルヌの小説の中にあるようなもののことと思っているのではないでしょうか。・・・
P.187


 リスク管理ばかりしている間に、一度しかない貴重な人生を、なんの「冒険」もせずに、そつなく終わらせる。それでは、死んだあと、一度限りの地上の人生を与えてくださった神さまに、合わす顔がないのでは・・・。


今、神が私たちを救うために、イエスという人となってこの地上のお生まれになった、クリスマスを待ち望む、教会暦で「アドベント」という時期です。


アドベント」は英語のアドベンチャー(冒険)のもととなった言葉。



 神はこのわたしを愛し、救ってくださるために、イエスというお方として地上に来られた。このイエスさまを信じる「冒険」に、わたしたちは、招かれているのですね。


 わたしたち家族も、まさにその素晴らしいイエスさまと一緒の「冒険」の旅を、この酒田でしているわけです(笑)



 イエスさまと一緒の「冒険」は本当に楽しい。どうせ一度きりの人生ではないですか。リスク管理にばかり、時間を費やして、いつのまにか歳をとってしまう人生は、もうやめましょう。今からでも遅くはありません。イエスさまを信じ洗礼をうけて、一度しかない人生を、この素晴らしい「冒険」に歩み出してみましょうよ。


 きっとそんな人がきっと沢山あたえられるぞ、っと、今、そんな希望に燃えている、わたしなのです。