雅歌3章5節
「エルサレムのおとめたちよ/野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください/愛がそれを望むまでは/愛を呼びさまさないと。」
雅歌は解釈がむつかしい。ここでは愛を擬人化して、愛そのものが望むまでは、愛を呼び覚まさないでほしい、という言葉が印象に残った。
「愛するべきだ」と自分や他人を責めてみても、愛は生まれない。
愛は無理やり呼び覚ますものではなく、愛そのものが愛する事を望むゆえに、それは愛となる。
その時がくるのを静かに待つこと。
待つこと、待たせていただくこと。それも愛。
なによりも、主が待ってくださっている。主の愛の忍耐
そんなことを思う。