科学と信仰

 科学とは簡単に言えば、実験をしてその結果を調べること。こういう実験をしたら、こういう結果が出ました、ということまでが科学の領域。


 その結果を解釈して、意味を与えるのは、思想哲学であり信仰の領域。


 たとえば、科学は人間を分析して、60兆の細胞からできているということまではいえる。しかし、その細胞が寄り集まっている人間という存在の意味は、科学が語ることではなく、哲学であり信仰が語るべきこと。


 たとえば、「脳死は人の死」かという問題に、科学は答えられない。科学にできる事は、脳死という状態についての説明まで。その状態が「人の死」なのかそうでないのか、その状態の意味を語るのは、哲学であり信仰の領域。


 科学と信仰は、対立概念ではない。科学は信仰を必要とし、信仰もまた科学を必要とする関係。


 ガリレオ裁判は、一般に言われているような、科学と信仰の対決ではない。そもそもガリレオは神を信じるクリスチャン。ガリレオが戦ったのは、当時のカトリックの聖書解釈であり教義(天動説)。ガリレオは、創造主なる神を信じる信仰と戦ったのではない。


 科学と信仰は、対立しない。科学と信仰の互いの領域の違いと相互依存関係を認めていく謙遜さが必要。