今日の礼拝

 今日の礼拝は、TRさんOさん、わたしたち家族。学期末で忙しく、TRさんは、すこし体調を崩しておられるようでしたが、礼拝を捧げられ、Oさんも今、いろいろと困難な状況のなかにありながらも、それゆえに、礼拝を捧げに教会にこられる姿に、感動を覚えます。


 今日の聖書の箇所は、イエスさまに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」と問われて、弟子のペテロが「あなたは、メシアです」と告白する、マルコの福音書8章後半の箇所。


 へりくだって、この告白をしていくことが、すなわち神を礼拝することになるのですね。


 さて、礼拝のなかで、それぞれの証を分かち合い、祈る時間がありますが、わたしからは、昨日のブログにコメントを書き込んでくださったtonakaiさんの証の言葉を、皆さんにお分かちしました。


 TRさんもOさんも、それぞれに、なにか感じとってくださったと思います。ゆるしゆるされることや、罪の根深さの問題、それゆえに、神の赦しと哀れみは大きいことや、また、子どもを通して、成長させられていることの恵みについて、などなど。


 そしてみなさんも、tonakaiさんの気持ちが痛いほどわかると思うのです。子をもつ親なら、身に覚えのあることもあるでしょう。わたし自身も、自分の罪深さを知らされる日々です。


 しかし、「あなたは、メシアです」とペテロが告白したお方は、神の子でありながら、やがて十字架につけられていくのです。その私たちの罪をあがなってくださるために。


 この神の愛が、赦しがあるからこそ、自分の罪を正当化せず、悔い改めることができる。そしてまたやり直させていただける。「もうだめだ」ということはない。



 ああなんと「あなたは、メシアです」とイエスさまに向かって告白させていただける人は、幸いなる人でしょうか。