御国がきますように

 今日は市内の教会の合同祈祷会。のぞみキリスト教会にて。教会は違いますが、心を合わせて祈るひと時は、本当に嬉しい時です。


 今日は主の祈りの中から「御国がきますように」という祈りに焦点をあてました。


 「御国」とは神の国。神の支配。


 「日本の国」が、日本国憲法の通用するところだとしたら、「神の国」は神の言葉、つまり「聖書」が通用するところ、という言い方もできるでしょう。イエスキリストによって、神の御言葉に生きるようになった、人と人の間に、神の国はやってくる。


 そして大切なのは、「御国にいけますように」と祈っているのではない、ということです。そうではなく、「御国がきますように」と祈るのです。つまり、天国とか御国というものは、いくところではなく、やってくるものなのです。


 「この地上のこと」はどうでもよくて、ただ「御国」に入れればいい、という考えは、ギリシャ思想の霊肉2元論(肉体は汚れているが、魂は清い)の影響を受けています。聖書はそうではなく、「この地」に「御国」がやってきますようにと祈るのです。「この地」が清められ、良くなっていき、終末において神によって「この地」に「御国」が完成することを願う、一元論です。



 いずれにしろ、自分中心で、人から奪うばかりの互いの関係は、まさにこの世の地獄でしょう。しかし、イエスキリストによって、神中心に変えられたなら、互いに与え合い、支えあい、愛し合う関係が生まれる。


 そんな御国が酒田にますます広がっていってほしいと、心を合わせて共に祈ったのでした。