希望を仰ぎ見て今を

 今日はOさん、Yちゃんは風邪のためお休み。美香も熱を出して寝ています。夜には37度に下がりましたが、昨日は40度まであがったので、少し心配しました。


 美香の寝床に妻はついていて、勇希としおんが騒いでいる中で、礼拝。
 正直、子供たちのことが気になったり、いろいろなことに、思い煩わされながら、臨んだ礼拝でしたが、讃美歌を歌い、祈り、心を主に向けていく中で、本当に不思議に心が静まり、感謝と平安に包まれてきました。


 妻の母の証、TRさんの証を聞きながら、いろいろな思いが引き出されつつ、神さまへの感謝に至り、嬉しかったです。


 今日は、このブログを通して、私たちのことを知り、教会への献金をおくってくださった横浜に住むTさんのことを、みなさんにご紹介し、Tさんのために共に祈りました。


 この場所で礼拝を捧げているのは数人ですが、その背後には、この小さな群れのことを、沢山の人が覚えていてくださるのですね。


 やがて、この教会も100人、200人が集う教会になるでしょうし、ならないといけない。福音は本当に素晴らしい宝なのですから。罪を赦していただけるのですから。神さまに愛される喜びを知るのですから。この素晴らしい価値が本当にわかったなら、教会は人で溢れるでしょう。たとえ今は、人々の目が覆われていて、わからないとしても、いつかは明らかになる。


 今日、TRさんと話していて、「讃美歌の「賛美」が神さまを賛美することだということさえ、以前は知りませんでした」ということを言われました。それが多くの人の現実でしょう。すでに、神さまの恵みや愛に触れているのに、それに気がつかないで、生きてしまっている現実。でも、いつか、その覆いが取られて、すでに注がれていた、神さまの愛に、恵みに気がつくときが来る。「ああ、そうだったのか」とわかるときが来る。そう信じて、種をまき続けていきましょう。


 そして、何年も経って、いつかこのブログを読み返したとき、「あのときは、数人の礼拝だったのに、希望をしっかり仰ぎみていたなぁ」と、そう思い返すことのできる、今を生きていきたいし、そんな素敵な礼拝を捧げつづけていきたいと、そう思う、今日このごろなのです。