ひとりごと

 上の二人の子どもたちを東京に残して、一足先に酒田に帰っていましたが、今日、子どもたちが義母と一緒に酒田に。またにぎやかになります。


 上の二人がいなかった数日間、1歳の勇希は少し不安定でした。いつもいるはずの、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいなくて、不安だったのでしょう。上の二人が帰ってきて嬉しそうです。


 妻も、「上の二人がいないと、拍子抜けするね」「ご飯の準備をする気が起きないなぁ」ということをいっていました。いつもの妻らしくなかったです。


 そんなわたしも、子どもたちがいないと、ちょっといつもの自分らしくないかも。


 人間って、自分一人では、自分らしく生きられないのですね。誰かと共に生きているからこそ、自分らしくなれる。


 「自分探し」とかいって、いくら自分の中を見つめていても、他者とのかかわりをもたなければ、本当の自分はわからない、ということと一緒です。


 なんのために生きて、何をしていきるのだろう、といくら自分の頭の中で考えてみてもわからないのは、自分を存在させた神と、共に生きることをさけているからではないですか。


 神はわたしたちに、愛の手を差し伸べて、共に生きようとしてくださっているのに・・・。わたしたちが、その手をつかみさえすれば、その愛を信じさえすれば、自分らしさを取り戻し、生かされている喜びを知るというのに。


 なぜ、人は、神さまとのかかわりから逃げようとするのでしょう。神さまはわたしたちを愛し、救い、共にいて下さろうとしておられるのに・・・。



 「神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」(1テサロニケ5章9節〜)